「骨盤が傾いているので、背骨が捻れて、それが首の痛みにつながっています」
「お仕事でまた硬くなってしまうので、こまめに通って、繰り返し緩めていきましょう」
整体の現場では、ごく当たり前のように使われている説明です。
分かりやすいですし、私自身も以前はこういう説明をしていました。
でも、今は違います。
私は、この説明の仕方をやめようと思っています。
「揉んで楽になった」は、何を証明しているのか
「硬いところを揉んでもらったら楽になった」
「ストレッチしたら痛みが減った」
そういう経験がある方は多いと思います。
ここで、一度立ち止まって考えてみてください。
本当に「筋肉が硬かったから痛かった」のでしょうか。
そして、揉んで痛みが減ったのは、本当に「硬かった筋肉が柔らかくなったから」なのでしょうか。
私は、ここを非常に重要視しています。
なぜなら、現在の神経科学・疼痛科学では、痛みは「痛い場所の組織の状態」だけで決まるものではないことが分かってきているからです。
右脚が痛い人が来たとします
右脚が痛い。
触ってみると、確かに右脚の筋肉が硬い。
そこで、筋肉を揉む。筋膜にアプローチする。ストレッチする。
すると、「さっきより痛くないです」となった。
ここで、
「やっぱり、この筋肉が硬かったことが原因だったんですね」
と説明されたら、とても分かりやすいと思います。
しかし、実際の身体はそこまで単純ではありません。
痛みが減ったという事実と、「その筋肉の硬さが痛みの原因だった」ということは、別の話です。
筋肉の硬さと筋骨格系の痛みとの関係を調べた研究でも、痛みがある人で客観的な筋硬度が高いケースはありますが、疾患や筋肉によって結果にはばらつきがあります。
つまり、
「痛い=その筋肉が硬い」 「硬い=そこが痛みの原因」
という単純な関係では説明できないのです。
痛みは、脳と神経系が出している「一つの答え」
現在の疼痛科学では、痛みは身体に起こっている問題そのものではなく、脳と神経系がさまざまな情報をもとに生み出す経験として考えられています。
例えば、自分の手をつまんでみてください。
少しずつ強く、少しずつ強く。
途中で「痛いかもしれない」と感じても、実際に皮膚が切れたり、内出血したりすることは、まずありません。
痛みは、「危険が起こっている、あるいは起こる可能性がある」という判断とも深く関係しています。
身体から「痛み」という完成された信号が、そのまま脳へ送られているわけではありません。
身体から入るさまざまな情報と、その人の経験や状況などが関わりながら、痛みという経験が生まれます。
自分の手をつねっているところを見ているだけでも、痛みの感じ方は変わります。
注射の針が刺さる瞬間を見ていると、より痛く感じることがあるのと同じです。
視覚からの情報、過去の経験、そのときの状況、周囲の環境など。
こうしたさまざまな情報が積み重なって、脳は一つの「痛み」という経験を作り出しています。
なぜ揉むと楽になるのか
揉む。押す。さする。伸ばす。振動を与える。温める。冷やす。
これらに共通していることがあります。
それは、身体に何らかの「感覚情報」を入力している、ということです。
皮膚には触覚や圧力を感知する受容器があります。
筋肉や腱、関節からも、さまざまな情報が神経系へ送られています。
施術者が身体に触れた瞬間から、身体→末梢神経→脊髄→脳へと入ってくる情報は、変化しています。
そして、その入力に対して神経系が反応し、筋緊張、可動域、痛みの感じ方などが変化することがあります。
現在の徒手療法研究でも、施術による変化を、単純な「組織を物理的に動かした」というモデルだけで説明するのではなく、末梢神経系、脊髄、脳を含めた複数の神経生理学的な反応として捉える見方が示されています。
つまり、
「揉んだ→筋肉が柔らかくなった→痛みが取れた」
だけではなく、
「刺激が入った→神経系がその情報を処理した→筋緊張や痛みという結果(アウトプット)が変化した」
という見方が必要なのです。
筋肉が硬いのは、「原因」ではなく「結果」かもしれない
ここで、もう一つ考えてほしいことがあります。
そもそも、なぜその筋肉は硬くなったのでしょうか。
筋肉が硬い。だから揉んで緩める。
それで終わってしまうと、「なぜそこが硬くなったのか」という、一つ前の段階が抜け落ちてしまいます。
筋肉は、それ単独で勝手に緊張しているわけではありません。
筋緊張は、末梢だけでなく、脊髄や脳幹、大脳、小脳などを含む神経系からの影響を受けながら、常に調整されています。
私は、あらためてこう思います。
硬いから揉む、また硬くなったからまた揉む。
これを繰り返しているだけでは、「なぜそこが硬くなるのか」という部分には、決して到達できないのだと。
「骨盤の傾き」「首への負担」だけで説明することをやめたい理由
冒頭に書いた説明に、もう一度戻ります。
「骨盤が傾いているので、背骨が捻れて、それが首の痛みにつながっています」
「お仕事でまた硬くなってしまうので、こまめに通って、繰り返し緩めていきましょう」
この説明は、間違っているとまでは言い切れません。
骨盤や背骨の状態が、身体の使われ方に影響することはあります。
ただし、骨盤が傾いていることは「観察された結果」であって、それだけでは痛みの原因を説明したことにはなりません。
骨盤が傾いている。
背骨が捻れている。
筋肉が硬くなっている。
これらは身体を評価するうえで大切な情報です。
ただ、そこで観察されたものを、そのまま「痛みの原因」と呼ぶことはできません。
そして、この説明だけで終わってしまうと、
・なぜ骨盤が傾くような使われ方をしているのか ・なぜ、また同じように緊張が戻ってくるのか
という、一番知りたいはずの部分が、置き去りになってしまいます。
そして、「また硬くなるので、こまめに通いましょう」という説明は、聞く人によっては、「一生このお店に通い続けないといけないのか」という不安につながってしまうこともあると思います。
私は、そういう説明の仕方を、もうやめたいと思っています。
痛みは「身体から脳へ送られてくるもの」ではない
国際疼痛学会(IASP)は、痛みを
「実際の、または潜在的な組織損傷に関連する、あるいはそれに似た、不快な感覚的・情動的経験」
と定義しています。
そして、「痛み」と「侵害受容」は異なる現象である、ということも明記しています。
身体から「痛み」という信号が、そのまま脳へ送られているわけではないのです。
身体から神経系へ入ってくるのは、触覚、圧力、温度、関節の位置、筋肉の状態、侵害受容情報などです。
さらに、視覚、前庭感覚、過去の経験、今の状況、心理社会的な要因なども、痛みの経験に影響します。
脳と神経系は、こうしたさまざまな情報を統合しながら、最終的に「痛み」という経験を作り出しています。
だから、「痛い場所=悪い場所」とは限らないのです。
私が身体を見るときの考え方:インプット→解釈・統合→アウトプット
私が神経科学の考え方で身体を見るとき、基本にしているのがこの流れです。
① インプット
脳には常に、身体や外の世界から大量の情報が入っています。
皮膚からの触覚や圧覚。筋肉や関節からの固有受容感覚。目から入る視覚。内耳から入る前庭感覚。呼吸や心拍などの身体内部の情報。
これらが、脳が「今、自分の身体がどうなっているのか」を把握するための材料になります。
② 解釈・統合
その情報は、末梢神経、脊髄、脳幹、小脳、視床、大脳皮質、さらに高次の認知機能など、神経系のさまざまな場所で処理されます。
「身体は今どこにあるのか」「どちらに傾いているのか」「どのくらい力を出すのか」「この動きにどう対応するのか」。
こうしたことが、絶えず処理されています。
③ アウトプット
そして最終的に、筋肉を収縮させる、姿勢を変える、身体を動かす、筋緊張を変える、痛みを経験する、といったさまざまな結果が現れます。
だから私は、痛みだけを見て身体を判断しません。
筋力、可動域、バランス、皮膚感覚、身体の左右差、目の動き、動作の正確性。
こうしたものも確認します。
身体に現れている結果(アウトプット)を見ながら、その前段階で何が起きているのかを考えるためです。
「じゃあ、刺激をたくさん入れればいいんですね」ではない
ここで、もう一つ重要なことがあります。
「だったら、感覚入力をたくさん入れればいいんですね」ということではありません。
ここを間違えると、神経系へのアプローチも、結局は「なんとなく刺激を入れるだけの施術」になってしまいます。
重要なのは、
何を入れるか。
どちらに入れるか。
そして、その刺激を入れたあと、身体がどう変わったのか。
です。
例えば、右側に痛みがあるからといって、右側を刺激することが、必ず正解とは限りません。
神経系では、身体から入った情報が、脊髄、脳幹、小脳、大脳皮質など、複数のネットワークで処理されています。
神経科学では、その中で脳幹網様体(PMRF)や小脳なども、評価の仮説として考えます。
状態によっては、反対側への感覚入力で結果が変わることもあれば、同じ側への運動・感覚入力によって変わることもあります。
だから、
「右が痛いから右を揉む」でも、
「神経系だから反対側を刺激する」でもありません。
重要なのは、その人の神経系が何に反応するのかを、実際に見極めることです。
良い刺激でも、方向を間違えれば良い結果になるとは限らない
ここは、私が施術でもセルフケアでも、非常に大切にしている部分です。
同じ運動でも、右方向では身体が動きやすくなるのに、左方向ではバランスが取りにくくなる、ということがあります。
ある刺激では筋力が入りやすくなるのに、別の刺激では入りにくくなることもあります。
「これは身体に良い運動だから」と、反応を確認せずに同じ刺激を繰り返したら、どうなるでしょうか。
良いと言われているトレーニングでも、それが今、その人に必要な刺激とは限りません。
だからこそ、私は、
評価 → 刺激 → 再評価
を繰り返します。
刺激を入れたら、必ずもう一度、身体の反応を見る。
良くなったのか。変わらなかったのか。逆に悪くなったのか。
身体が出した答えを確認して、次の刺激を決めていきます。
私が「揉んでほぐすこと」を施術の中心にしない理由
ここまで読んでいただくと、私がなぜ、一般的な揉みほぐしを施術の中心にしていないのか、少し分かっていただけると思います。
揉むこと自体を否定しているわけではありません。
揉むことで楽になる方もいます。ストレッチで動きやすくなる方もいます。
ただ、「硬いから揉む」「痛いからそこを伸ばす」だけで、施術を決めることはしていません。
私は、
皮膚への刺激。振動。末梢神経への刺激。関節への感覚入力。目の動き。前庭感覚。バランス。呼吸。身体を自分で動かすモーターコントロール。
こうしたものを、その方の身体の反応を見ながら使います。
「脚が痛いのに、なぜそこを見るの?」
「首が痛いのに、なぜ目を動かすの?」
そう思われることもあります。
でも、そこには理由があります。
痛い場所だけではなく、その痛みや筋緊張という結果が、なぜ今、その方の身体に現れているのかを見ているからです。
「硬いところを探す」から、「身体の反応を見る」へ
痛いところを揉む。硬いところを緩める。
それによって、身体が楽になることはあります。
ただ、現在の疼痛科学や徒手療法研究を見ると、その変化をすべて「硬い筋肉を物理的に柔らかくしたから」と説明するには、無理があります。
現在の研究では、徒手療法による変化には、末梢、脊髄、脳を含む複数の神経生理学的なメカニズムが関与する可能性が示されており、「なぜ効くのか」については、まだ完全には解明されていません。
だからこそ私は、
「ここが硬いから、ここを揉む」
で終わらせたくありません。
なぜ硬くなっているのか。
どんな感覚情報が入っているのか。
その情報を、神経系がどう処理しているのか。
どんな刺激を入れれば、身体の反応が変化するのか。
インプット → 解釈・統合 → アウトプット
そして、
評価 → 刺激 → 再評価
この流れを、私は大切にしています。
「どこが硬いか」だけではなく、
「なぜ、その身体は今その反応を出しているのか」。
私はそこまで考え、評価し、身体の反応を確かめながら施術を組み立てていきます。
それが、私がこれからの整体で大切にしていきたいことです。
参考文献
- Raja SN, et al. The revised International Association for the Study of Pain definition of pain: concepts, challenges, and compromises. Pain. 2020;161(9):1976-1982.
- Keter DL, Bialosky JE, Brochetti K, et al. The mechanisms of manual therapy: A living review of systematic, narrative, and scoping reviews. PLoS ONE. 2025;20(3):e0319586.
- Koppenhaver SL, et al. Shear wave elastography investigation of multifidus stiffness in individuals with low back pain. Clinical Biomechanics. 2018;61:60-68.
※この記事は、私が学んでいる神経科学の考え方や、学んだ内容をもとに、現在の施術に対する私自身の考えをまとめたものです。


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